4. 怠らず御陽気を吸え


◎『怠らず御陽気を吸え』

(一)身体上唯一の修行
 これは、有名な御教語でもあり、また実に、黒住教に於ける、身体上唯一の修行と言ってもいい事柄なのです。
ー解釈は、別に必要はないほどの事で、それよりは、お互いに、日夜これに実践に力を入れる事が何より肝要であります。

(二)「御陽気」とは……
 解説は不要と申しましても
 「御陽気」
とは何ぞやということは、一応解釈を試みねばならぬことでしょう。

極簡単に、― かつあっさりと一言に申しますれば「御書」とは、一般に言いまする「空気」の事であります。
  御承知の通り「空気」とは科学上から言えば、一種の気体で、酸素と窒素の混合物であります。人間を始め多くの動物は、これを呼吸して生きているのであります。

(三)「空気」 ― 「充気」
 ところで、その「空気」といふ語は最初英語の”Air”の如き、外国語を訳するにあたって使用され出したものと思いますが、よく考えてみれば随分へんな語です。空気とは漢字の意義から読みますと 「カラの気」(或は「ソラ」の気といふ意味かも知れませぬが……)という事になりますが、カラどころではありませぬ。地球を取りまいて、どこにでも充溢しておるものでして、ちょっとしたスキ所があって も、すぐそこに一ばい充満しまする。
 これは、むしろ「充気」―「みつる気」とでも申すべき性質のものであります。さて、更に、その実質について考えまするに ― これは、単に酸素と窒素(外に数種の微量のガス類が混じっておる)の 混合物たる一種の気体なりと、専ら科学的に、物質的にのみ説明していいものでしょうか?― 決してそう簡単にはゆかないのであります。

(四)天地生々の陽気
 単に「空気」といって、我々が、それで平気にすましている、その「気」なるものは、これを呼吸 して、これによって尊い生物が生き活かされておるのであります。これは実に「天地之生気」であります。一切が生々と元気を得、活力を得、盛んに活動する事を得る「陽の気」であります。
― 天気純陽の気、顕われてこの気体となっているのであります。
 「一元の陽気」、「太陽の気」をもって一切を活かし給う親神様の、その「陽気」、「太陽の気」顕れて、ここに地上に充溢して流動するもの、これすなわちこの「気」なのであります。
 誠に、これは生々の「御神徳」そのものであります。
 こう考えて来ますると、「空気」と言って、ただ物質的にのみ解釈しておるその「空気」なるものは古人が「天地の顥気(こうき)」ー「浩気」 ― あるいは「天地之元気」とも言ったものとも通ずるところの、半ば以上、精神的な、不可思議な「気」であり、「力」であると言わねばなりませぬ。
 そこで、教祖神は、これを簡明に、的確に、しかも、意義強く「御陽気」と仰せになったものであります。
 「名は実の賓なり」といふ古語もあります。名称はどうでもよい様なものの、どうも、その実質、意義とあまりかけ離れ、あるいは背馳する様な「空気」といふ名称を廃して、 ― 学者先生の仲間ではとにかく ― 我々はどこまでも「御陽気」と称えたい事であります。
 これで ― 「御陽気」とは、つまり「空気」の事なりと、申し間々しても、その時はその「空気」なる語の意義内容がたいぶ世間一般のものとは違うことが明らかでしょう。

(五)努力呼吸
 名称やその実質の事は、まずその位にしておいて「怠らず御陽気を吸へ」よとは、どういう事でしょうか?
 我々は二六時中、いやしくも生きておる間は、絶えずこれを吸うておる筈なのです。吸わなかったらすぐ死ぬるのですから、実際皆、吸うているのです。
どんな怠惰なものでも、これだけは、怠らず吸うています。然るにもかかわらず、なお「怠らず……吸えよ」が、御教えになるのには、特別の意味合いがなければなりませぬ
 我々は、何か懸命に仕事に没頭しておる時でも、人と話をしておる時でも、あるいは夜寝ている時でも呼吸はしている、すなわち御陽気をいただいている。かくて生きているのです。思えばありがたいことであります
 しかし、それは知らず知らずのうちに、無意識にいただいておるのですーそうでなくて意識して、努力して、御神徳なる御陽気をいただく、 ― その事を怠らず勤めよと仰せになっているのです

(六)呼吸法の研究と実
 今も昔も「養生」の極致は呼吸法にあるので、深呼吸とか、腹式呼吸とか、いろいろ唱えられていますが、つまりあれなのです。努力して、一定の様式でもって、深い、大きな呼吸をする。それをお奨めになったのが、この御教語の御主旨なのです
 もっとも、単に新鮮なる「空気」を吸う、深呼吸をする、というのでもいけませぬ。
 やはり「生々の御霊気」をいただく、「御神徳」をいただくという、その信念、そのありがたい気持ちからでなければなりませぬ。
 ところで、飲食物についても、その栄養摂取の方法は、いろいろと研究されて、種々の調理法もあり、成分の配合やら、カロリーの多少やら、なかなかやましく論じられ、それぞれ実行されております。
 いわんや、 ― 十日や二十日食わなくても死ぬるおそれのない、それらの飲食物と事変わって、 ― 一日どころではない、一時間、いやいや、わずか十分も止めておればすぐ死んでしまう、その大事の空気の呼吸法については、十二分の研究のあってしかるべきもので、その方法の善し悪しによって、身心の強弱、健否から、殀寿(ようじゅ) ― 長生き、若死にの相違まで生ずることはもちろんのことでありましょう。
 これ、呼吸法の研究と実修との盛んに唱道されるゆえんであります。

(七)御陽気のいただき方
 しからば、御陽気にいただき方はどうしたらいいか?
 これにつきましては、
 第一に、無上の尊き御神徳たる、生々の御陽気をありがたくいただくという思いに徹する事。
  第二に、じっと心をおちつけて、ただただ御陽気をいただくという一念にとどまる事。
 この二つが、「心の持ち方」、「気構え」として必要であります。さもないと十分に御陽気がいただけませぬ。
 次に、方法としては、いろいろの呼吸法が参酌(さんしゃく)され、併用されて可なりと思いますが、今言うところの「腹式呼吸法」が根幹となるべきでありましょう。
 現に、この御教語に次いで、
 「下腹で息をせよ」
という教えがあり、また、
「御陽気をいただいて下腹に納め、天地と共に気を養ひ……」
ともありまするから、うんと深く大きく十分に下腹の底まで吸い込んで、下腹丹田(たんでん)に英気を蓄え、元気を養うというのが、御陽気のいただき方の肝心だと思います。

(ハ)どんな病気でも治る
  もし、真乎(しんこ)の本教式、大道式とも申すべき方法は、教祖神が、かの文化十一年十一月十一日の冬至一陽来復の旦(あした)に感謝に充ち、感激に満ちて御日拝の砌(みぎり)、無上霊感を得給い、思わず大口を開けて日球(にっきゅう)を呑み給いしという、あの場合の、あの方法であるというべきでしょう!!
 しかし、この事たるや甚だ神秘不可思議にして、尊厳無上の境地に属するものであります。そこには容易に我々の究め難く、学び難きものが存します。
 まず、前節に述べたところに、御陽気のいただき方、その実修方法の要領は尽きているものと申して可なりでしょう。
 で、教祖様は、日に三百回くらい、ありがたい一念になって十分に御陽気をいただけば、どんな難病、業病(ごうびょう)でも必ず全治すると仰せになったと承ります。
ーこれは、たしかにそうであろうと信じます。
しかして、身体の病気の平癒にととまらず、精神が落ち着き、大丈夫の心になって、ビクビクしない、ものごとに動じないという事も、全く御陽気の修行によって成就します。誠に「鎮魂」の何よりの簡便かつ的確な修行方法でであります。

(九)長息をすれば長生きをする
 いったい、呼吸は、身体の上部でするほど、浅い短い息になりまして、それによろしくない方法であります。
 肩でする呼吸、 ― 「肩式(けんしき)」の呼吸は、非常にものに驚いたときや、あるいは死の直前の息であります。普通なのは「胸式(きょうしき)」、すなわち胸でする息で、可もなく不可もなしといった種類のものです。これも特に「深呼吸」といって、胸郭を張って十分大きな息をする方法もあって、それは強肺の上には効果もありますが、ただそれだけで大いに元気を養い、進んで精神まで養うという様なところはありませぬ。
 だから、一番いい方法は、既に言いました下腹でする息、下腹丹田に元気を蓄えるという方法で、これが一番深い長い息でありますが、これについて教祖様は最もありがたい御教語を示されております。
「長息をすれば長生きをする」
 実に面白い、ありがたいお言葉であります。「長息即長生(ちょうそくそくちょうせい)」 ― 誠に御陽気修行の効顕は著大であります。

(十)高弟の修行
 高弟星島先生の「修行百首」の歌は先生が、再度肺病になられた時、御陽気の修行を怠ったためとお気づきになって、毎田、日向にて御陽気をいただかれつつ、百首の歌をお詠みになり、百首に満つる時おかげをお受けになったものと承ります。
 ですから。自然、その中には御陽気に冠するいいお歌がたくさんあります。
 今、その中から数首を挙げて、この文を終わることといたします。

「引く息のその度ごとに
   天照す神の恵みを思い出だせよ」

「御陽気をしかと吸ひ込むつき息に
   病気陰気を息吹きはらへよ」

「下腹でいきだにすれば御陽気が
   からだ一パイ満ちわたるなり」

「下腹に陽気満つれば身はおろか
   心も強く勇ましくなる」

「御陽気がからだ一ぱい満ちぬれば
   病気陰気のかくれ家はなし」

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